いやな感じ - 高見順

いやな感じ

Add: lyhine23 - Date: 2020-12-10 05:57:22 - Views: 1171 - Clicks: 1864

310-311 ●参9: 『高見順日記 第二巻ノ上』 (勁草書房 昭和41年初版発行 昭和53年3刷参照) P. ●参1: 『高見順 人と作品』 (石光葆 清水書院 昭和46年2刷) P. いやな感じ (3454) 販売価格(税込)¥2,970在庫状態 : 売り切れ高見順 著/共和国/菊変型判/424ページ アナキズム。テロリズム。エログロ。ファッショ。亜細亜。そして戦争。 躍動する魂。ディープなスラング。 これは前史なのか、あるいは現在の私たちなのか? 関東. 高見 順(たかみ じゅん、本名・高間芳雄、1907年 1月30日 - 1965年 8月17日)は、日本の小説家、詩人。 出生に関わる暗い過去や、左翼からの転向体験を描き、第1回芥川賞候補となった『故旧忘れ得べき』で一躍注目を集めた。. 昭和5年(24歳)、大学卒業直前、高見がリーダーだった劇団「制作座」(活動期間は1年ほど。帝国ホテルで2度公演。効果係を北園克衛が担当したことも)の女優・石田愛子と結婚、麻布の母親の元を去って当地(不入斗。大森区大森町2-437?)の長屋に住んだ。この頃から昭和11年までコロムビアレコードで働く。 昭和6年(24歳)、日本プロレタリア作家同盟城南地区のキャップになり、労働運動を通して非合法革命運動に接近。 昭和8年2月(26歳)、治安維持法違反容疑で検挙され、大森警察に拘留され拷問を受ける。転向手記を書かされて、3ヶ月後、出獄。 しばらくして愛子出奔する。 妻に逃げられた痛手を紛らわすがごとくに銀座裏をさまよい、昭和10年(28歳)、銀座裏で務める水谷秋子と出会う。 新しい恋愛に制作意欲を取り戻して書かれたのが 『故旧忘れ得べき』 。 秋子と結婚し、住んだのがやはり馬込文学圏(大森区入新井3-141。現・大森北4-21 map→)だった。 母親も同居した。昭和13年(31歳)、浅草に仕事部屋を構え大森から通った。 『如何なる星の下に』 を書く。小説 『感傷』 『外資会社』 、エッセイ 『妙な名前』 などに大森駅や大森銀座などが出てくる。 昭和18年4月(36歳)、鎌倉の山ノ内に転居。13年間の馬込文学圏住まいだった。 多くの作家がJR線より山側に住んだのと違って海側に住み、それを誇りにした。 九州閣(南馬込三丁目)の猪野謙二を訪ねたことがある。 若い頃から文章作法の上でも尾﨑士郎のことを好まなかったので(尾﨑の著者の感興を直接書く書き方に批判的だった)、馬込文学圏の尾﨑のテリトリーには近づかなかったと思う。昭和16年、高見が、文学は国策に与するには非力だと書いた(文学が国策の道具になることを牽制した)時、尾﨑はその弱腰を批判。高見によると「(尾﨑から)売国奴呼ばわり」 された。 挙国一致で盛り上がっていたご時世であり、高見はそれ以上言えず、 「誤解されるやうな取り乱した言ひ方をした」 と謝罪して話を引っ込めた。高見の尾﨑に対する鬱屈は戦後まで尾をひく(「文学非力説」 論争)。 川端康成との付き合いはながく、川端は高見の葬儀のおり、葬儀委員長を務めた。 ■ 作家別馬込文学圏地図 「高見順」→. 高見順の詩集。 昭和38年(56歳)、講談社から出版された。 同社からは他にも、名著シリーズ(昭和41年)、講談社文庫(昭和46年)、講談社文芸文庫(平成5年)の一巻としても出版されている。 平成16年日本図書センター(愛蔵版詩集シリーズ)からも出版。. いやな感じ - 高見順/著 - 本の購入はオンライン書店e-honでどうぞ。書店受取なら、完全送料無料で、カード番号の入力も不要!お手軽なうえに、個別梱包で届くので安心です。宅配もお選びいただけます。.

『いやな感じ』は高見順の後期の作品。 昭和初期の動乱の中、アナーキストとして社会と過激に闘う主人公を描いています。 ここではそんな『いやな感じ』のあらすじ・解説・感想をまとめました。. 286-288 ●参5: 『プロレタリア文学運動』(湯地朝雄 晩声社 平成3年) P. ・高見順没後二十年回顧展記念 文庫版『都に夜のある如く』(1985年)・高見順二十回忌追悼記念 文庫版『いやな感じ』(1984年)2冊一括 共に署名箋(印刷)付き. 高見順『いやな感じ』 一行目から「大傑作を読んでしまった!」という感触に満ちているのは、なんなんだろう。「これ、ヤバイやつや、ヤバイヤバイ」とあたふたしながら読んだ。 アナーキストの半生。アナーキストは実行あるのみ、ボルは口だけ! おすすめの一節がこちら。 無法を擁護. やな感じ』では、これまでとは違った書き方をしたとも述べている2)。 高見順の最晩年の長編『激流』と『いやな感じ』は、ほぼ同じ時期に 並行して書かれている。とりわけ『激流』は、昭和34年1月から38年11.

関東大震災後、虐殺された大杉栄の復讐に失敗したアナーキスト・加柴四郎。「生の拡充」を希求して夜の町を彷徨し、ファシストや軍と結託。韓国や上海での要人暗殺に加担、やがて日中戦争へ. いつだったか、どこでだったか、誰かが高見順と開高健の 類似性を指摘していて、例えばそれは、高見順が1940年代、 陸軍の報道班員となり、ビルマへ従軍し、そして、晩年癌を患い、 五十代後半でこの世を去ったという、ただ、その二つの点と点だけで あったけれど、開高は「高見順伝」と. Amazonで高見 順のいやな感じ (文春文庫 (249‐2))。アマゾンならポイント還元本が多数。高見 順作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. いやな感じ - 高見順 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなの. 三つ目に紹介する『いやな感じ』は高見順の後期の作品。 昭和初期の動乱の中、アナーキストとして社会と過激に闘う主人公を描いています。 隠語を使う独特な文体が作品の雰囲気を高めていて、物語的にも 高見順の傑作 だと言えます。.

高見 順【著】 1907年、福井県に生まれ、1965年、千葉県に没する。小説家、詩人。 本名、高間芳雄。 高校時代にダダイズムの影響を受け、東京帝国大学文学部時代にはプロレタリア文学運動に加わる。. 『いやな感じ』は各社文学全集『高見順集』収録後、角川文庫(一九七四)、文春文庫(一九八四)に。 仏語訳も手元にある。 今回の新版は. Amazonで順, 高見のいやな感じ。アマゾンならポイント還元本が多数。順, 高見作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。またいやな感じもアマゾン配送商品なら通常配送無料。. ほかに『高見順日記』(正続17巻)、『高見順全集』(全20巻)がある。 「年 『いやな感じ』 で使われていた紹介文から引用しています。 高見順のおすすめランキングのアイテム一覧.

See full list on bungakukan. 高見順著『いやな感じ』 600ページを越す長編小説だが、芸術作品のもつ恐怖と憐憫、倒錯、幻覚、官能性を味えるとても素晴らしい小説だ。 ブログを書くために斜め読みに再読しようと思ったがまた夢中になって読み耽ってしまった。. 『 いやな感じ ( いやなかんじ ) 』 暗い踏切の手前で円タクをとめた。 旦那、お楽しみですねと若い運転手がにやにやしながら、釣り銭を出した。.

462-465 ●参10: いやな感じ - 高見順 『詩人 高見順その生と死』(上林猷夫 講談社 平成3年発行) P. 高見 順『いやな感じ (文春文庫』の感想・レビュー一覧です。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。読書メーターに投稿された約6件 の感想・レビューで本の評判を確認、読書記録を管理することもできます。. 私生児として育つ 明治40(1907)年1月30日(※1)、福井県三国町で生まれる。 本名は高間芳雄。 父親は当時福井県知事だった坂本釤之助(さかもと・さんのすけ)。永井荷風の父親の弟だ(高見と永井は従兄弟同士になる)。 坂本が県下巡察に来たとき、食事の世話をした娘が高見の母で、坂本は高見を子と認めなかったため、私生児と届けられた(※2)。翌年、坂本の近くに住むことを望んだ祖母・母親に連れられて東京へ。 麻布の長屋に住んだ。 母親の針仕事が生計を支えた。 針仕事の得先に正岡子規門下の岡本癖三酔がおり、6歳の頃から彼の俳句の手ほどきを受ける。 白樺派、ダダ、そして左翼思想へ 東京府立第一中学校(現・日比谷高校)時代から白樺派の作家に親しむ。校長の川田正澂(かわだ・まさずみ)の仲介で岡田顕三(※3)から個人的な育英資金を受けて、第一高等学校(現・東京大学)に進学。海外の演劇論を翻訳し、築地小劇場の機関誌に送稿した。丸山定夫との付き合いはこの頃からだろう。大杉栄に傾倒してダダイストとも親交する。 昭和2年(20歳)、東京帝国大学文学部英文科に入学。 翌年、壺井繁治らと左翼芸術同盟を結成し、「左翼芸術」を創刊した。 そこで初めて高見順と名乗る。 同年、左翼芸術同盟はナップに合流した。 投獄され転向。本格的な作家生活に入る 転向後、デカダンスな生活を送るが、新しい恋愛をきっかけに意欲を取り戻し、本格的な作家生活に入っていく。昭和10年(28歳)、『故旧忘れ得べき』 を執筆、第1回芥川賞の候補となるが受賞を逃す。 吐き出すような独自の文体で、3つのコンプレックス(父親からの不認知、思想的挫折、妻の出奔)をテーマに書く。 「日本における最初の現代文学(川端康成)」 「高見順の時代といふ時代があつた(中島健蔵) 」 と評される。 昭和11年(29歳)、 武田麟太郎主宰の「人民文庫」に参加。 体調不良と戦いながら 戦中は、陸軍報道班員としてビルマとタイへ派遣された。 北鎌倉在住時には、収入を補うために川端康成らと貸本屋 「鎌倉文庫」 を開店、店番もした。 鎌倉文庫は出版社にまで発展し、高見はその常務取締役を務めるが、その激務と執筆との掛け持ちで、昭和22年(40歳)頃から体調が優れなくなる。 昭和33年(51歳)、『わが胸の底のここには』 を出版。 昭和37年(55歳)には、芥. 354-366 ●参7:『高見順日記 第六巻』(勁草社 昭和40年初版) P. 作家高見順の日記。全8巻9冊は1964年から66年にかけて,生前から没後に刊行されたが,内容は敗戦前後を中心とする1941年1月から51年5月までの記録である。. 157-166 ●参3:『馬込文士村ガイドブック(改訂版)』 (東京都大田区立郷土博物館編・発行 平成8年) P. 昭和13年(1938)の春、高見順は浅草田島町に仕事部屋を借りた(国際通りの西側、現在の台東区西浅草)。当時の浅草は東京で一、二を争う繁華な街だった。劇場や映画館がひしめきあっていた。 ここで書かれたのが『如何なる星の下に』である。 改造社の「文芸」に連載されたが、文芸雑誌には珍しく挿絵入りの連載となり、単行本にもその絵がそのまま使われた(挿絵・装幀は三雲祥之助)。 昭和8年のころからか、高見順は浅草によく行くようになっていた。政治活動のしがらみ、最初の妻とのいざこざ. 年7月21日付『毎日新聞』に、荒川洋治さんの書評掲載! 「〔主人公の〕加柴四郎の激烈な人生は、悲劇へと転落したが、当時の人たちの多様な人生と、熱くふれあう部分をもっていた。『いやな感じ』は時代という大きな世界の空気と、そのなかで生きる人たちのようすを鮮やかに伝える.

いやな感じ - 高見 順 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も満載。. 文藝春秋, 全日本ブッククラブ(頒布) 1971. See full list on designroomrune.

25-26 ●参6: 新潮現代文学 『高見順』 (新潮社 昭和56年) P. 1907年、福井県知事阪本釤之助の非嫡出子として福井県坂井郡三国町(現坂井市三国町)平木に生まれる。母・高間古代(コヨ)は阪本が視察で三国を訪れた際に夜伽を務めた女性である。 1908年、母と共に上京する。実父と一度も会うことなく、東京市麻布飯倉にあった父の邸宅付近の陋屋に育つ。私生児としてしばしばいじめを受けた。阪本家からは毎月10円の手当てを受けていたが、それでは足りず、母が針仕事で生計を立てた。1924年、東京府立第一中学校卒業、第一高等学校文科甲類入学。一高社会思想研究会に入会する。1925年、ダダイスムの雑誌『廻転時代』を創刊する。1926年、校友会文芸部委員に就任する。1927年に一高を卒業、東京帝国大学文学部英文学科に入学する。同人雑誌『文芸交錯』創刊に参加、また1928年に左翼芸術同盟に参加し、機関紙『左翼芸術』に小説『秋から秋まで』を発表する。東大内の左翼系同人雑誌7誌が合同した『大学左派』創刊にも参加する。劇団制作座の仕事に従事し、劇団員だった石田愛子と知り合った。 1929年、『大学左派』の後身『十月』や『時代文化』の創刊に参加し、プロレタリア文学への道を進んだ。1930年に東大を卒業、研究社英和辞典臨時雇として勤務する。その後、コロムビア・レコード会社教育部に勤務する。雑誌『集団』創刊に参加、この頃、日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)に参加したと推定される。石田愛子と結婚する。 1933年、治安維持法違反の疑いで大森署に検挙されるが、「転向」を表明し、半年後に釈放された。妻・愛子は他の男性と失踪し、離婚した。雑誌『日暦』創刊に参加した。 1935年、饒舌体と呼ばれる手法で『故旧忘れ得べき』を『日暦』に発表、第1回芥川賞候補となり、作家としての地位を確立した。水谷秋子と結婚する。 1936年、『人民文庫』の創刊に『日暦』同人とともに参加する。また、コロムビア・レコード会社を退社、文筆生活に入る。思想犯保護観察法が施行され、擬似転向者として再調査される。1938年、浅草五一郎アパート(曽我廼家五一郎が経営)に部屋を借りて浅草生活を始める。 1939年、『如何なる星の下に』を『文芸』に発表、高い評価を受ける。 1941年、陸軍報道班員として徴用されビルマに派遣される。戦場にも出たが、鉄兜も帽子もなくしてしまい、心細さの挙句に鉢巻をしたが、「多. ※1 : ↑本当は前の年(明治39年)の12月生まれ。高見自身も晩年までそのことを知らなかった ※2 : ↑昭和5年(高見23歳)、坂本から認知され庶子となる ※3 : ↑ (株)フジクラの創業者・藤倉善八の甥で、フジクラの電線事業の技術面で活躍した。 後年、高見は『岡田顕三伝』の編纂に携わる.

See full list on wpedia. 「おれは荒磯の生まれなのだ」と高見順は詩に書いたことがある(「荒磯」)。 高見順が生まれたのは日本海に面した漁港の町、福井県の三国町であった。近くに東尋坊の絶壁がある。 明治40年(1907)生まれとされているが、明治39年とも言われる。 本名は「高間義雄」だったが、高等学校のころ一字改めて「高間芳雄」とした。 「高間」は母の姓。 高見順は自分の父親について「私を彼女に生ませた、彼女の夫ではない私の父親」という書き方をしている(「私生児」)。 父親はそのころ福井県知事だった阪本釤之助(もとは「坂本」だったが、釤之助は「阪本」と書くことを好み、この用字が通行)。 知事として何度か三国町を訪れるうち、この地で評判の美人だった高間古代(こよ)と結ばれ、高見順が生まれた。 その翌年、高間古代は老母と幼い息子とともに三国町から東京市麻布区(現在の港区)に移り住んだ。和裁の仕事で生計を立てつつ、一人息子を厳しく育て上げることになる。 後年、高見順は「幼時の恥」「暗い出生の翳」「私の恥づべき素姓」といった表現をよく使った。「私は父親が欲しかつた」とも書いている(『わが胸の底のここには』)。 しかし生涯一度も父親と顔を合わせたことはない。 (武藤康史) 少年期を回想した自伝的小説「わが胸の底のここには」の原稿、関東大震災の様子を描いた旧制中学の頃のスケッチのほか、旧制高校の受験体験記が雑誌に載り、初めて原稿料をもらったことを書き留めた学生時代の日記などを紹介。. 。最後の文士・高見順、畢生の長篇小説が単行本未収録作品を加えて、いま甦る!「北一輝・大.

その日本の小説こそ、高見順『いやな感じ』でありました。なるほど、胃腸病を患ふ人には不向きな小説と申せませう。 さて大谷崎に続いて、没後50年シリーズ第2弾(?)は高見順であります。 ドナルド・キーン氏も夢中になつた『いやな感じ』。. などから逃げたかったのかもしれない。山の手に育った高見順にとって浅草は新鮮な土地だった。 昭和9年の短篇「世相」にはすでに浅草の17歳の踊り子に心惹かれる男が登場していた。「如何なる星の下に」の「私」も17歳の踊り子「小柳雅子」のことを「いいなア」と思う。「十七歳のその可憐な脆美(スレンダー)な肉体」をしきりに思い、「小柳雅子への慕情」という言い方も使われていたが、「慕情」ということばは高見順の造語と言われる(その後アメリカ映画の日本語題に採用され、広まった)。 高見順が浅草に部屋を借りていたのは1年ほどだった。『如何なる星の下に』の時期を別の角度から描いた作品に『深淵』がある。また『胸より胸へ』は戦後の浅草を描く。 (武藤康史) 浅草での生活をもとに、戦局が泥沼化していった時代の息苦しい世相を背景に描いた「如何なる星の下に」の創作ノートの他、雑誌「文芸」連載時の三雲祥之助による挿絵原画などを展観。. 高見順が暮らしていたのは、麻布のお屋敷町のはざまにある粗末な長屋であり、いやでも階級を意識させられる境遇でした。 実父に存在を無視され、私生児として半生を過ごした辛い体験を、「私に於ける暗い出生の翳について」というエッセイに綴ってい. More いやな感じ - 高見順 videos. 80 ●参2:『大田文学地図』(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年) P. 46-47 ●参4: 『評伝 尾﨑士郎』 (都築久義 ブラザー出版 昭和46年) P. ※いやな感じ(1960‐63)〈高見順〉三「『ああいうのをニヒルと言うのかな』『あれはフウテンだ』」 出典 精選版 日本国語大辞典 精選版 日本国語大辞典について 情報 【高見順日記】より.

いやな感じ - 高見順のページをご覧の皆様へ HMV&BOOKS onlineは、本・CD・DVD・ブルーレイはもちろん、各種グッズやアクセサリーまで通販ができるオンラインショップです。 Pontaポイントもつかえて、お得なキャンペーンや限定特典アイテムも多数!. 高見順は高等学校時代、ダダイズムを初めとする欧州前衛芸術運動の影響を受け、同人誌「廻転時代」を発刊した。東京帝国大学英文学科に進学後、「高見順」のペンネームで小説を書き始め、プロレタリア文学の担い手として「大学左派」「左翼芸術」等の雑誌を舞台に活動している。卒業してコロムビア・レコードに就職後も非合法運動を続けるが、検挙され、拘留中に妻に裏切られる事件なども重なって、虚無にさいなまれることになる。やがて転向を経て昭和8年(1933)、新田潤、渋川驍らと「日暦」を創刊。その活動は、転向作家たちの拠点となった雑誌「人民文庫」へとつながっていく。 この時期、左翼崩れの若者たちの悲哀を綴った「故旧忘れ得べき」を発表。これが第一回芥川賞候補になり、一躍文壇の注目を集めた。この長編は「書き手」が直接顔を出して小説の進行を解説していく特異な文体で知られ、やはり同じ時期にデビューした太宰治、石川淳らの饒舌体とも共通している。昭和11年のエッセイ「描写のうしろに寝てゐられない」は、まさにこうした新世代のマニフェストとして象徴的な意味を持っており、写実的に「描く」ことをめざす旧来のリアリズム文学への反逆の宣言でもあった。 ダダイズム、マルキシズムなど西洋の最新思潮をくぐり抜けた末に、高見順はポストモダンの旗手として、江戸戯作の伝統にも通じる豊かな語りの文体を再生してみせたのである。 (安藤宏) 太宰治らとともに昭和10年の第一回芥川賞の候補となった「故旧忘れ得べき」の原稿や芥川賞の選評を中心に、文壇に登場するまでの高見を紹介。. 「昭和文学盛衰史」などの執筆を通じて、文学史の表舞台には現われない同人雑誌が散逸しつつある現状を憂えていた高見順は、昭和37年(1962)から有志の文学者・研究者と共に近代文学館設立のための運動に乗り出すことになった。 その年の5月には設立準備会が結成され、翌38年3月、正式に財団法人日本近代文学館として発足、高見順は初代理事長に就任した。資金集めと設立趣意の普及を目的として開催された文芸講演会では、「特に消失しやすい無名作家の作品の保存には大いに努力したい」とその抱負を述べた。当時の高見順の日記には文学館事業に奔走する様子も記されている。 昭和38年10月の創立記念「近代文学史展」は多数の入場者を記録したが、開催3日目に食道がんと診断され闘病生活に入る。昭和39年2月、「文学館の設立運動」に対し菊池寛賞が授与されることが決まった。病床から出席した授賞式で「私たちがその中で生きてきた近代文学の資料というものを、どうしても残しておきたかった」と語った高見順に多くの励ましが寄せられたが、文学館起工式の翌日の昭和40年8月17日、ついにこの世を去った。 高見順自身は文学館の完成を見ることができなかったが、当館資料の礎石となった「高見順文庫」をはじめ、その尽力によって収集・保存された一連の資料は、彼の作品とならんで、彼が生きた時代の姿を今日の私たちに伝えている。 (日本近代文学館 事務局) 昭和37年から有志の文学者・研究者と共に発起された文学館設立運動について、当時の日記や一緒に活動した人々からの手紙などをもとに、その進展を紹介。. ・ ウィキペディア/坂本釤之助(平成24年9月5日更新版)→ ・ ウィキペディア/川田正澂(平成24年5月31日更新版)→ ・ ウィキペディア/岡本癖三酔(平成25年12月6日更新日)→ ・ 株式会社フジクラ/企業情報/先哲の室 ~フジクラの歴史/基礎確立の時代→ ※当ページの最終修正年月日. 電車内で向かいに座る女が目に留めれば、まずはしめたものだ。「いやな感じ」に「いいね!」させておびき出せ。「映え」させる程度に変態せよ。そこから奈落の底が見えてくる。 『いやな感じ』 著者:高見順 発行:共和国 発行年月:年6月10日. いやな感じ: 高見順: 共和国: /06 発売 ( A5変・424ページ ) isbn:: 価格: 2,970円 ( 本体: 2,700円 ). 昭和16年(1941)1月、高見順は、画家の三雲祥之助とともにジャワ(現、インドネシア)へ向う。戦時色が強まるとともに表現者への統制が強まり、思想犯保護観察法の監視対象となっていた高見の周辺は一層息苦しくなっていた。意気込んで創刊した「新風」が創刊号だけで終ったのも、軍部からの圧力のせいであった。旅は、こうした行き詰まりを打破したいという願いから計画された。前年12月に幼い一人娘由紀子を喪ったばかりで、傷心の旅立ちだった。 のちに刊行される膨大な日記は、この旅から執筆が始まった。「書き魔」ぶりは日記だけでなく、日本で待つ母や妻に宛てた書簡の量にも見て取れる。 ここでの異文化体験は、彼に多くの影響を与えた。帰国後、「文学非力説」を書いたのも、この体験に触発されたものであった。「文学非力説」は、国策文学を求める流れに一石を投ずることになった。これに対し、文学を軽んずるものだと憤る者、時局に非協力的だと批判する者などがあり、さまざまな反論が寄せられた。 昭和16年11月に徴用令を受ける。太平洋戦争が始まって危険も増したビルマ(現、ミャンマー)に配属され、陸軍報道班員として報告文を書き続ける一方、ビルマの現状や伝統文化、民俗に関心を寄せた。昭和18年1月に帰国するが、昭和19年6月から12月まで、再び陸軍報道班員となって中国に赴く。滞在中には南京で開催された第三回大東亜文学者大会に、日本代表として参加した。 (宮内淳子) 時局に非協力的であると批判された「文学非力説」の草稿や南方からの家族宛絵はがき、報道班員としての日々の生活を細かく書き留めた従軍日記を中心に、戦時下の高見の姿を紹介。 評論「昭和文学盛衰史」、長篇小説「いやな感じ」といった戦後の作品から、高見が「昭和」という時代をいかに総括しようとしたかを紹介する。二作の原稿や創作ノートのほか、自身で描いた書籍用のカット下絵などの資料を展観。 第一詩集『樹木派』などの詩が書かれた「詩的デッサン」のノート、病室での思いを綴った「死の淵より」詩稿ノート、詩集を読んだ三島由紀夫からの手紙など、その生涯にわたる詩業を紹介。また、没後、創設された高見順賞とその受賞作についても一部展観。. 高見順(著)書評掲載情報毎日新聞朝刊評者:荒川洋治(現代詩作家)昭和の激動期を描く壮麗な絵巻図書新聞年7月20日号評者:森元斎紹介アナキズム。テロリズム。エログロ。ファッショ。亜細亜。そして戦争。躍動する魂。ディープなスラング。これは前史なのか、あるいは.

底本: 日本の文学 57 高見順: 出版社: 中央公論社: 初版発行日: 1965(昭和40)年5月5日: 入力に使用: 1966(昭和41)年12月1日第6版. 17 この頁の頭に戻る. いやな感じ (新字新仮名、作品id:58337) かなしみ (新字旧仮名、作品id:58133) 死の淵より (新字新仮名、作品id:57024) 仏像とパゴダ (新字新仮名、作品id:58310) 作業中の作品 →作業中 作家別作品一覧:高見 順. 295-297 ●参8: 『続 高見順日記 第八巻』 (勁草書房 昭和52年発行) P.

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